きみはいい子
読む前から少し、身構えていました。
「虐待」をテーマにした物語であるということ。
ニュースで児童虐待のことが報じられたりしたときに心に浮かぶのは、純粋な怒りと一緒に、そこに至るまでに追い詰められた精神への想像。自分のいる世界から地続きで、誰でもそんなふうになりえるかもしれない息苦しさのようなものを感じて苦しくなる。自分がこどもだったときに比べて、学校も町も家族も、大きくくくってしまえば社会そのものが、なんだかとても窮屈に感じてしまうから。
本来なら「絶対に許せない」ことへ生まれる静かな共感は、正直座りがわるいし、まだ親にもなっていない自分の気持ちの立ち位置がゆらゆらして定まらなくて、物語を読んでいても苦しくなってしまう。
辛いかもしれない、と思いながらもその存在感に惹きつけられて読んだこの本は、想像していたより穏やかな物語でした。
虐待それ自体を事件的にクローズアップしたというよりは、当事者やその周辺にいる人たちの日常。
「たたかれるのはじぶんがわるい子だから」という子供や、じぶんをとめられない親や、なすすべをもたない教師も、一時的なシェルターにしかなれないともだちのことも、しずかに訥々と語られて、だからこそ目をそらすこともできないまま心に残る。
この物語はそこでおきているすべてのことを否定しない。そして解決もしない。ただあるがままにやさしい言葉でえがいて、その先の未来を生きる人の力をそっと照らす。奇跡のような出来事で自分が180度変わることも、誰かを変えることもできないし、つらいことがつらくなくなることはないけれど、そのことに絶望しない、ささやかでも消えない人の力を感じさせてくれる。
「きみはいい子」というタイトルは、祈りの言葉のように思えました。
読んでいて、やっぱり少しつらかった。でも読んでよかったし、いろんな立場の人に読んでみて欲しいと思う一冊。
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